『白鯨』を読む13 こわいもの
よくある話なのかもしれない。
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小室哲哉の逮捕を機に、
globeの動画をネットでさがしてみたりして
「Anytime smokin' cigarette」(リンク)
のなかでKEIKOの歌う姿をみているうちに、
熱が出て、ねこんだ。
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何年か前、ヴィスコンティの『ルードヴィヒ 神々の黄昏』のリバイバルを見たときも、
映画の前にはなんともなかったのに、有楽町の映画館を出るときには体が熱くなっていて、
壁という壁をつたいながら
ふらつく足取りでなんとか家に帰ったことを思い出す。
食中毒的な、
なにか悪いものにあたってしまったときの気分があのときと共通している。
『ルードヴィヒ』では、
ヘルムート・バーガーが物語の進行とともにあらゆる希望を断たれて
暗く鈍くひかる狂気に蝕まれていく。
その狂気の深度と同調するように
バーガーの歯がどんどん黒くなっていくのが怖くてしかたなかった。
あれって虫歯? と思いたいけど、たぶんぜったいちがう。
たんに歯をみがかなかったじゃんみたいな因果関係がみえればよいのだけど
なんだかよくわからないけど歯が黒い
というのが怖い。
しかも、どんどん黒くなっていく。
青山真治の『ユリイカ』でも、
役所広司が映画の後半、咳をこじらせていく。
体の様子がおかしい。
どうしてかはわからない。
わからないまま、咳は止むことなく、ノイズとしてしだいに映画全部を覆い尽くしていく。
「あ、バスの長旅で体がつかれちゃったんだね」
などという安易な理由づけを拒むなんだかわからなさが、ここでも怖い。
はなしは戻ってglobeなのだけど、
KEIKOが歌っていたときの瞳の開き方は、なにかに憑依されている人のそれで
たとえばヴォルフガング・ティルマンスの写真がそうであるように
破滅の予感に震えているみたいにぼくには見える。
I don’t want GOAL
I don’t want SOUL
I don’t want ROLL
落ちてる石でいいよ
KEIKOがどうしてあんなに切羽詰まっているように見えるのか、よくわからない。
もしかすると彼女はあのとき
「世界はもうすぐ終わる」と本気で信じていたのかもしれない。
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たぶん人が生きていくときに、なんだかわからない悪いことは
あたり前のような顔をして偏在しているものなんだろう。
『ルードヴィヒ』の歯も、『ユリイカ』の咳も、
「Anytime smokin' cigarette」の眼の見開きも
とかく映像表現は
そのなんだかわからない悪いことを、なんだかわからないまま見せることができてしまう。
ところが、文字言語によって世界をフレーミングする表現=小説は
映像と比較するときに、なんだかわからないことをそのままに見せるのが苦手みたいだ。
たぶん言語というものが、ロジックにくっつきやすいからだろう。
書くということは、考えるということに、とても似ている。
などとつれづれに書いているうちに、
フィリップ・K・ディックの『死の迷宮』のことを思い出す。
デルマク・Oという名前の惑星で
脱出不可能な状況におかれた14人の男女が、ひとりまたひとりと死んでいく。
なんだかわからなさが満ちたドラッキーな世界で
個人的にすごい怖かった。さいごまで読み通したかも定かでない……。
謎に種明かしはないし、
人が生きてることにだって理由なんてないんだ、という匂い。
おまけに「破綻なんて大したことじゃないよね」と図々しく同調を求められる感じがある。
読んでると熱が出てくる。
熱が出るというのは、もちろんある種の拒否反応なのだけど
かといって、
ウェルメイドなものにばかり惹かれるわけではなくて
「なんだかわからないけど悪いこと」がフィクションのなかに埋め込まれる必要は
あるのだろうし、その破調のあり方には、美学的な関心だってある。
ただ、それはそれとして
物語をつむぐ人に、シニシズムと闘ってほしいということは
いつも、期待している。
たしかに世界は終わるかもしれない。
デルマク・Oではみんな殺されてしまうかもしれない。
それでもあなたには生きのびてほしいと誰かはねがう。
こんなふうに、怖いもの連想をつづけていると
また熱がぶりかえしてきそうだから、このへんにしておこう。