『白鯨』を読む12 斎藤環と境界線上の人々
残された時間がすくなくなっている。
こんなときは、抱え込んだ課題をとっかえひっかえ確認することで時間を費やしてしまいがちだけど
一定の集中力をなにかに傾ける以外に、まえにすすむ道はない。
と、いうようなことは、
「急がば回れ」と、とてもコンパクトな格言になっているので
わすれないように胸ポケットにしのばせておこうとおもった。
淡々と斎藤環の『アーティストは境界線上で踊る』を読んだ。
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『美術手帖』の連載がベースになっているようで、
現代美術の作家へのインタビュー+批評が23人分。
さいしょにくる草間彌生は別格にして
(たぶん草間のインタビューの面白さって、叶姉妹のインタビューを読む面白さに近いとおもうのだ)
印象にのこったのは、
会田誠、木本圭子、岡崎乾二郎、杉本博司の4人。
以下、順に4人の記事の感想を。
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会田誠
さいしょはインタビューだけ拾い読みするつもりだったのだけど
チラチラと目に入る批評部分も読み出すとおもしろくなってきて
会田誠がインタビューでこたえた
「『犬も歩けば棒に当たる』という言葉に惹かれる」、
との発言を斎藤が詳細に分析しているあたり、
なるほどとおもったり。
犬と棒については、これまでまともに考えたことなかったけれど、
そういえばずいぶん奇妙なコトバのつなぎをしている。
かんがえればかんがえるほど妙だ。
犬も棒も、なにかのメタファーに還元しがたいようなコトバで
それを順接で繋ぐのは、あまりにシュール。
「犬も歩けば棒に当たる」ってなんなんだ。
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木本圭子
彼女の作品の制作過程はよく理解できていないのだけど
コンピュータにつくったラインを構成して絵画化するうえでの
道具と自意識のあり方がおもしろかった。
ただし、おもしろかったなんていいながら、
インタビューで木本がどんなふうに答えていたかは忘れてしまっていて
ただただ、
作品「Imaginary Numbers」にぶっとぶ。
みていて背筋にくる。
作品はココで。(リンク)
とくに動画。いい。
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岡崎乾二郎
斎藤はこの本のなかで、ほとんどのインタビュー原稿を
みずからの質問部分を消して、
アーティストによる独白調に編集しているのだけど
インタビューとしてのじぶんが登場せざるを得なかったものも
なかにはある。
草間彌生と、もうひとりが岡崎乾二郎だ。
岡崎乾二郎へのインタビューはスリリングだ。
それは、ふたりが話すなかで岡崎が斎藤を分析しはじめるからで
アートを巡るトピックに、斎藤のこれまでの著作での発言やアイデアを
ヒュッともちこんで話をシフトさせる岡崎に
斎藤自身、ぞっとしている感じがギョウカンから伝わってくる。
するどい知性を感じさせる岡崎のコトバはどれも刺激的で
これまでまったく目にしたことのない名前だったので
すかさずamazonで著書を検索してしまった。
これはネットでひろった文章の孫引きで、
岡崎による「制作のための12の注意事項」(リンク)
- あたかも虫が飛んできて、そのままそこに止まったかような心の動き。
- 作業にはけっしてしばられない。
- 近づくと、視野が広がる。
- はじめからそこに在ったかのような、もしくは瞬間に出来上がったような。
- 色、そこから光はそこに残る。
- 壁に静止している虫は重さを壁に委ねていない。
- 小さくて小さくて大きい大きくて大きい小さい、そんな。
- そこがどこから始まるのか、わからない。
- 測られることを拒む。
- こわそうと思えばこわせる、あるいは保存しようと思えば保存できる。
- 見ると見つけられてしまう。
- 見るたびに忘れてしまう。
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杉本博司
“Theaters”(シリーズ)では、杉本の手つきは
さらに確信にあふれたものになる。
ここに映し出されるのは、まさにフレームそのものだ。
フレームが時間を切り取るというゴダールのコトバに
不思議な符号をみせるのが杉本博司の作品(「ブルータス」の杉本特集へのリンク)。
この一見静謐な画面は、一本の映画の光だけで撮影されたものであり、
そこに観客は存在するにもかかわらず、写らない。
してみると真っ白のスクリーンは
無数のフレームの痕跡にほかならず、
一方で人間の存在は
この画面に痕跡を残し得ないのだ。
光と、時間と、空間と。
もともとそれら三つは、概念として分けて考えてはいけないもののような気がする。
杉本の写真は、フレームを見るものに明示することで
光と時間と空間を、もういちどひとつのものとして結びつけようとする。
その三つがひとつになったもの、それを名指すコトバは、いまのところ、ぼくのなかにはないのだけれど。