『白鯨』を読む01 ためつすがめつ

「うちの本棚が燃えてなくなったらすっきりするのに」
という夢想がきのうも頭をかすめた。


計算機を叩かなくてもわかる。
ぼくはじぶんが買い集めたこれらの本を、のこりの一生かけても読み切ることができない。


いままでだって、何度も気づいていて、
でもそのたびに見ないふりをしてきたけれど
きのう買った文庫本を
マーク・トゥエインの自伝と、チャールズ・フレイジャーの『コールド・マウンテン』と、ピーター・ストラウブの『ミスターX』)
ボンレスハムみたいにミチミチになった本棚の隙間にねじこむときに
あらためておもった。これはムリだと。もうダメなんだと。


で、決断することにした。この問題をこれ以上放置しない。



読む速度に追いついていないから溜まるわけで

  • 読む速度を上げる
  • ストックする速度を落とす


あるいは在庫の観点からみれば

  • 読んだ本は処分する
  • 読んでないけれど処分する本を探す


このあたりが現実的なラインだけれど、どれもいやだ。


では現実逃避ライン。

  • 「本というのは、読まなくてもいいもんなんだ、手もとに置いておくだけで滋養のあるものなんだ」と考えることにする


これは雑誌『ユリイカ』だかの、同様の問題をトピックにした座談会でだれかがコメントしてた。そうそうと、その座談会のメンバーたちはうなずきまくり。
だけど、ざんねんだけど、ぼくはその妄想に参加することはできない。

  • 1冊読んだだけで、100冊読んだ分くらい肩の荷が下りる本を読む


これしかないんじゃないの?
この妄想なら、受け入れられる。なんでだろう。


少なくとも、小説には比重がある。体験的にそうおもえる。
長編か、難解か、古典か。あるいはその組み合わせがあるものは
ほかの小説よりも重い。
ぼくの頭では内容を理解できないかもしれないけれど、文章のドライブ感にのっかるだけで高揚感があったりする。全身の細胞がぶるぶる震えるような。


さっそく本棚のなかから、候補を探す。
リチャード・パワーズか?
スティーブン・キングの『スタンド』? 『ダークタワー』?
ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』?
ジョイス『ダブリンの市民』?


こうして書き連ねるだけで、あまりに読んでいなさすぎなことを思い知らされて目眩がする。
そう、ぼくは小説というオブジェが好きなだけで
けっして本読みではないのだ。これもうすうす気づいてはいたことだけれど。


けっきょく、『白鯨』を選んだのは、
柴田元幸の解説(link)を読んで、モチベーションが沸き起こったから。そんな気がしたから。


めげそうになるたびに、柴田さんのこのレコメンドにもどろう。


では、がんばります。たとえ実質的に本棚の整理にならないとしても……。