『白鯨』を読む08 テストの答え合わせ

まさに鯨でげす。
                    『ハムレット


冒頭の
「鯨という語を含む名文抄」をパラパラと読んでいる。
まだ物語ははじまっていない。
いや、この小説に物語を期待するのは間違いではないかという予感がする。
ていうか、期待なり予感なりを言い出すのすら、まだ早いだろう、じぶん。


ともかく、頁をめくりはじめた。
そして、ここにきて、
気持ちをきりかえてバリバリ『白鯨』を読みすすめなければと
気を引き締められるできごとが、たてつづけに起こった。



ひとつは、映画化のニュース(リンク)。


監督は『ウォンテッド』の人らしい。
この映画は見ていないけれど、アンジョリーナ・ジョリーが
流麗なカメラワークのなか、唇をとがらせて弾丸を解き放つ映像は、テレビスポットで何度も目にしている。


バラエティ・ジャパンの記事によると、

メイヴィルの原作を尊重しながらも、よりグラフィック・ノベル的に話の構成を変えた


さらに

(脚本家の)クーパーは、
「私たちの『白鯨』は、おじいさんたちの世代が読んでいたものとは違います。
この不朽の名作を取り上げ、物語の核となるアクションと冒険の復しゅう劇を、
最新のビジュアル・エフェクトを使って描くものなのです」
と、今回の新バージョンの趣旨を説明する。

小説『白鯨』における鯨は、
可視化しえないものの象徴としてあるのかと思っていたのだけれど
(読んでないくせに、そういう予感がするのだ)
それをバッチリ映像にして見せますよ、という今回の映画化は
いかにもビッグバジェット映画らしい無神経さがかえって小気味いい。
じぶんが観にいくかはわからないけど、こういう不敵な試みはどんどんやってください。


『白鯨』に関係ないことだけど、映画の話題ついでにすこし。


ぼくがいま前売り券をもっている映画は
『アイアンマン』だ。
(観たい映画はべつに二つあるんだけど、また長くなるので省略)
『アイアンマン』については、ぼくのアイドル山崎まどかさんも褒めていて(リンク)、いまから楽しみなのだけど、
祖筋や解説をよんでみても、どうしてこの話が面白くなるのか
さっぱりわからない。

企業戦士からヒーローへと転換する派手やかなパーソナリティの主人公を、まったく破綻なく見せる。


と読んでも、はたしてボンクラなぼくが企業人に感情移入できるか不安になるし

ジェットスーツで空を飛ぶ爽快感が味わえて、

とあるのを読んでも、トレーラーの映像はまるで『ロケッティア』の悪夢を蘇らせるふうだし。


なんというか、『アイアンマン』に対して、
じぶんの想像力が追いついていないのが、もどかしい。
もしぼくが、映画業界の片隅でモップ掛けをする野心だけは満々の監督志望青年だったとして
ある日、ハゲでデブで毛むくじゃらの映画プロデューサーに
「ちみ、『アイアンマン』監督しない?」と、
かりに依頼されたとしても
「アイアンマンっていわれてもなぁー」と、途方にくれてしまうだろう。


だからぼくは、赤点をとってしまったテストの
答え合わせを授業で聞くような気持ちで、
映画館に足をはこぶことになりそうだ。



つぎは、試験の問題を解くまえに、模範解答を読んだみたいなできごと。


ぼくが毎日訪問してまわるサイトのひとつに
「空中キャンプ」というところがあって、
ふだんは映画の感想を中心にシンクロ率を誘発するテキストが書かれているのだけど
そこに先日、
「『白鯨』の思い出」
という記事(リンク)がアップされた。


なんとタイムリーなんだろう。
ぼくのために書いてくれたとしか思えない。ありがとう。
いや、じっさいのとこ、どうして空中キャンプさんが『白鯨』について書こうとしたのかわからないけれど
ともかく、チャーミングな文章。

その、さわりだけ。

この小説にでてくるエイハブ船長という登場人物は、
『白鯨』を読んだことのない人でも名前を聞いたことがあるくらいに有名であって、
それはたとえば、ホールデンとか、トラヴィスとか、
そういったたぐいの「架空の有名人」のひとりであった。
そして十九歳のわたしは、架空の有名人たちとたくさん知り合いになりたいとおもっていたのだった。


この出だし……。たまらん。ごはんおかわり。
こないだ「本の雑誌」のサイトで穂村 弘さんのインタビューが掲載されていたけれど(リンク
そのなかで説明される穂村さんの切迫感にも近いものを感じる。
すこしながいけれど
そのインタビューからも引こう。どうせコピペなんだし。

思春期に入ってから、
何か決定的なことが書いてある、そういう本があるんじゃないかと思うようになって。
その決定的なことを理解できないと、自分は生きていけないという風に感覚が変わったんです。
親に本を買い与えられていた頃は普通に幸福な子供でしたが、
中学に入るくらいから、自分はこのままでは生きていけないという感じになったんです。
じゃあ、どうなれば生きていけるのかというと、
その答えは親や先生や友達との関係の中では得られないと思い込んでいた。
それで決定的なことが書かれてある本を見つけだして、
それをつかまない限り、自分は駄目だという、特殊なテンションがありました。
娯楽というよりも、読んでは「これも違う、次!」というような。
自分だけの決定的なバイブルを求める感覚で読んでいたんです。


正直、ぼくがこれから『白鯨』を読んでも
「空中キャンプ」にある文章いじょうの感想文はでてこないだろう。
だから
この「『白鯨』を読む日々」はその活動の意義を終え……といって、
はてな市民にもなれないままブログを閉鎖することもかんがえた。


だけど、『白鯨』を読むことで
「架空の有名人」と仲良くなれるなら、
あるいはその本が決定的なバイブルになるかもしれないなら
やっぱり読んでみたい。


なんて、気負いばかりが先行している日々。