『白鯨』を読む09 誕生月の小説

ある朝、ママから絶縁状が届く。
淡いピンク色の便箋にブルーの文字で、「ママです」と書き出されていた。
封筒には、差出人の名前も住所もなかったけれど、
このニョッキみたいにまるまるとした字はママに間違いなかった。
縁を切られるおぼえはなかった。だけど、
ママに問い合わせるのも面倒だったから放っておいた。
出張から帰ったばかりで疲れていたというのもある。
それに、ママの連絡先を知らなかったということも。
そうしたら夕方に、当のママから電話がかかってきた。
「あの手紙、読んでくれた?」
僕はソファにうずもれている。サイドテーブルには、
朝とどいたママからのちいさな封筒、
つい五分前に冷蔵庫から取り出した瓶ビールとグラス、
それから三ヶ月のあいだ読みすすめないでいる文庫本があった。
それは西暦二〇〇〇年の夏の出来事だった。もうずいぶん昔の話におもえるけれど。


ぼくは小説家ではないのだけど
書いてみたくなったので、書いてみた。上はその冒頭。


あれやこれを小説として書きたいという具体的な体験とかイメージはなかったので
小説を募集している媒体のなかで、
ぼく自身、いまいちばん楽しんでいる雑誌に応募することにして
その制約のなかで書こうとおもった。


枚数の指定があれば、そのなかでまとめるし、
もしジャンルとかテーマとかキーワードが設定されるなら、
言われるままに寄り添ってみようとおもった。
三代続くご用聞きの心意気で。
なにより、現実的な締め切りがないことには
たぶん書ききれないという自分のだらしなさには自信があったので。


柴田元幸さんが責任編集になっている『モンキービジネス』(リンク)に出したいぞ、
というのはすぐに決まった。


手に取るだけで、こんなにワクワクする雑誌ってない。
アートワークに対する意識がしっかりしているし
(しばしば見かける柴田さんの似顔絵が排されているあたりの判断も支持する)
「野球号」「眠り号」といった特集タイトルの外しかたも素敵だし
(しかも次号は「サリンジャー号」だし)
古典、新作おりまぜたテキストの多彩さに目がくらむ
(ていうか岸本佐知子が連載してるというだけでもう完璧でしょう)。


募集のじょうけんは

  • 400字詰め換算で30枚以内
  • 至近の応募資格は、9月末までが誕生日の人。締め切りも9月30日。

という2点だけ。


ということで、30枚以内で、9月末までに書けるものを書くことになった。



でき上がった代物は、うんざりするような仕上がりで
読み返すのもいやだし、はやく忘れたいのだけど
それでも下読みの人の迷惑顧みず、締め切り日に送った。
すみません。
ともあれ、書くうちに、発見もあった。


その発見というのは、じぶんのなかの「正しい小説」についてだ。
小説というのは、すくなくともぼくの書いた小説は
さいしょからさいごまで、でたらめが書いてある。


プロットは、
失踪した母親を、テディベアのぬいぐるみと一緒にさがしてまわる男のはなし。


幕末の薩摩の出来事を書く、というのでもなし、
未来のハッカーの世界を書くでもなし、
物語は、はんぶん夢うつつのなかで進行して、語り部のいうことにフェアネスも期待できない。
だから、書きつけられるコトバは、どんなコトバもあり得るとまでは言わないけれど、
キャッチャーミットは大きく、かなり許容量のひろいなかで
文章をつないでいけるはずだった。


にもかかわらず
書くうちに、
「これはちがっているな」という感覚がある。
そのことが、意外だった。


「これはつまらないな」というのであれば、まだわかる(し、終始おもっていた)。
だけど、
「この描写はまちがっていて、こうするべきだ」
という感覚が、書くうちに起きる。
正解は本来ないはずなのに、そうおもう。強く確信する。
そして書き直して、すこし納得して、先にすすむ。


ということは、ぼくのなかには正しい小説の姿
設定されているのだろう。
内容に対して好みがあるだけでは飽きたらず、
もっと傲慢な意志がねむっていた。
そして、そのあるべき姿に近づけないもどしさ……。なんど、ふて寝したことか。



もう一つの発見は
小説を書くことに集中しているあいだ
ぼくが無能になることだ。
宅急便を出すときに、緩衝材だけ入れて送ったり、
しかも伝票に書く住所をまちがえたり、
雨の日に駅のホームに傘をわすれたり
銀行のATMでお金を引き出しておきながら、カードと明細だけ受け取って帰ろうとしたり。
こんな日々がつづくと、日常生活に支障をきたすだろう。
交通事故とかにも余裕で遭いそうな気がする。



ところで、すぐにもう一本書こうとおもっている。
こんどの締め切りは10月20日


たぶん、転職のほうがうまくいかないことの
現実逃避なのだろう。


そういえば、学生のころにいっとき、小説を書いていたけれど
あれも受験から逃避するためのものだったんだな。いまさら気づいた。


『白鯨』は、
「『鯨』という語を含む名文抄」のパートを読み終えたところまで。